| MK02:宗形清氏 | 胸形徳善 ― 宗形清氏 ― 宗像氏盛 | MK03:宗像氏盛 | ● |

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| 黒川隆尚 | 黒川菊姫 |
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生年には明応9年(1500年)・永正9年(1512年)など諸説があって明確ではない。永正5年(1508年)、時の宗像神社大宮司であった従兄弟の宗像興氏から家督を譲られて大宮司となる。その後は大内義興に仕えて尼子氏や大野氏との戦いのために出雲や安芸を転戦した。 |
宗像氏の家督を巡る争いに巻き込まれ、悲劇的な最期を遂げたことで知られる。その死後の数々の伝説が残された。 |
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黒川氏貞 |
黒川色姫 |
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父・正氏は大内氏に属し天文16年(1547年)に死去すると、その家督は父の猶子・宗像氏男が継ぐことになった。ところが、天文20年(1551年)、陶晴賢の謀反により大内義隆が討たれた大寧寺の変において、氏男は義隆を守り奮戦するが討死した。 |
5歳のとき陶隆房のクーデターにより大内義隆が自害し、父・正氏の跡を継いだ異母姉・菊姫の夫で、色姫の従兄弟にあたる宗像氏男が戦死する大寧寺の変がおきている。大寧寺の変後間もなく、天文20年(1551年)9月12日に色姫と母・照葉,兄・鍋寿丸は初めて宗像に入国した。氏男戦死後の宗像家内は氏男の弟・千代松を擁立する勢力と鍋寿丸を擁立する長州派に二分しており家督を巡って合戦を繰り広げた。最終的には長州派が勝利し鍋寿丸は名を氏貞と改め第70代宗像大宮司を相続した。この家督を巡る争いにより異母姉・菊姫とその母・山田夫人が長州派によって惨殺される山田事件がおきた。 |
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黒川隆像 |
宗像氏隆 |
| 永正9年(1512年)、宗像氏続または宗像氏佐の子として誕生。氏続の兄・宗像正氏(黒川隆尚)の養子となる。その後、大内義隆に仕え、偏諱を受け黒川隆像と改名する。天文20年(1551年)9月1日、大寧寺の変で主君・義隆が自害したのに伴い殉死する。 |
大内義隆に招かれ、黒川姓を名乗り、陶晴賢の謀反で死亡した宗像大社の第79代宮司・宗像氏男の子。幼名・国丸。父が大内義隆と共に死亡した後、陶晴賢に殺されそうになるが、宗像の旧臣らによって救出され、長門国へ落ち延びた。以後、帰農して寛永19年(1642年)11月29日に90歳を越える天寿を全うして死去したという。 |