<神皇系氏族>天神系

A221:津速産霊尊  津速産霊尊 ― 日下部御楯 KC11:日下部御楯

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矢田部盛方 矢田部盛重

 伊豆に配流された源頼朝は三島大社を篤く信仰し、治承4年(1180)、挙兵に当たって三嶋大明神の神威を頼み、安達藤九郎盛長を使として社参せしめ、戦捷を祈請し、挙兵成功ののちに、三薗郷,川原谷郷の二郷を神領として献じ、神主盛方を沙汰職に補任した。近世のはじめに矢田部を名乗り、いまも三嶋大社の神職として連綿している。
 頼朝の信仰はその後も篤く、元暦元年(1184)4月糠田郷を献り、流鏑馬を奉納し放生会を行い、文治3年(1187)には社殿の造営を行った。また、頼朝妻である北条政子が奉納した「蒔絵手箱」は国宝に指定されている。

 鎌倉幕府執権北条氏も源頼朝同様、三嶋大社を尊崇し、安貞2年(1228)、玉河郷を献じ郷司職を神主盛重に沙汰し、嘉貞元年(1235)社殿を造営、正和4年(1315)9月、駿河国良知郷を献じた。