K307:天武天皇 | 継体天皇 ― 欽明天皇 ― 敏達天皇 ― 押坂彦人大兄皇子 ― 天武天皇 ― 忍壁皇子 | K311:忍壁皇子 | ● |
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忍壁皇子 | 山前王 |
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天武天皇元年(672年)の壬申の乱では父・天武天皇が吉野から東国に赴いた際に付き従った者として、草壁皇子とともに名が挙げられている。 |
慶雲2年(705年)6月に父の忍壁皇子が没すると、同年12月に山前王は二世王の蔭位により従四位下に直叙される。その後、刑部卿などを歴任したが、目立った事績がないまま養老7年(723年)12月20日卒去。 |
葦原王 | 保雄王 |
天平宝字5年(761年)御使麻呂と賭博,飲酒中に、俄に怒りを発し麻呂を刺殺した。そして、その胸を俎にして股肉を膾に切り刻み食してしまった。ほかにも余罪があったが皇族のため、淳仁天皇により死罪を免れ、龍田真人の賜姓を受け臣籍降下の上、子女6人とともに種子島に配流された。生まれつき凶悪な性格で、好んで酒を飲ませる店で遊んだという。 | 仁明朝の承和9年(842年)忍壁皇子の六世孫にあたる保雄王およびその子息の長宗王,広宗王,高枝王ら合わせて10人が、翌承和10年(843年)五世孫にあたる令根王の子女の安継王,清淵王,易野女王,五世孫の永根王の子女の良長王,良雄王,良氏王,瀧子女王の合わせて7人が、清滝真人姓を与えられて臣籍降下している。 |
大野王 | |
和銅5年(712年)二世王の蔭位により无位から従四位下に直叙される。元正朝に入り、霊亀2年(716年)弾正尹に任ぜられる。 |