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源 国信 | 源 顕国 |
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1086年(応徳3年)の堀河天皇即位に際して蔵人に任ぜられたのを皮切りに、1093年(寛治7年)篤子内親王の立后に際して中宮権亮、翌1094年(嘉保元年)には蔵人頭に任ぜられる等、堀河天皇に近臣として仕えた。その後も堀河朝において要職を占め、1098年(承徳2年)参議、1102年(康和4年)権中納言、1103年(康和5年)正二位。 |
蔵人を経て、長治2年(1105年)中宮職事になる。保安2年(1121年)5月29日、39歳で卒去。最終官位は従四位上左近少将・皇后宮権亮だった。父の国信同様に、堀河天皇及び中宮篤子内親王の近習を中心とする内宴・雅会の常連であり、堀河院歌壇の一員として活動していた。また関白藤原忠通が内大臣時代に主催した数度の歌合にも出席し和歌を詠んだ。『金葉和歌集』などの勅撰和歌集に7首入集している。 |