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本間国季 | 本間久季 |
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徳川旗本本間氏の祖になったとされる。 |
鎌倉公方足利基氏に属して鎌倉に在住し旧領小野田村を還付された。小山義政の乱には、公方・氏満から軍功を励むよう書を与えられたという。以後、鎌倉府に仕え、上杉禅秀の乱,永享の乱と続く関東の戦乱のなかで、やがて、駿河守護の今川氏に属するようになったと考えられる。 |
本間宗季 | 本間政季 |
本間宗季は座王城の防衛や天方城攻めに活躍し、今川氏親に軍忠状を提出し証判を受けている。永禄3年(1560)8月には長季が石野郷内小野田村を今川氏真によって安堵されている。 |
政季は掛川城の攻防のとき、一旦、氏真に応じたが、のちに徳川家康に従い、天正2年に家康から小野田村を安堵された。政季が小野田村を安堵された日は、八郎三郎が武田勝頼から小野田村を安堵された日の翌日のことであった。このことは、一族でありながら袂を分かったことで、同じ土地をそれぞれが属した大名から安堵されたことを示し、当時における恩賞・安堵のありかたが垣間見え興味深いものである。 |