延喜3年(903年)従四位上に直叙され、翌延喜4年(904年)侍従に任ぜられる。延喜7年(907年)正月に信濃権守として地方官に転じるが、同年10月には大蔵卿に転任し、その後、承平5年(935年)まで長きに亘り大蔵卿を務めた。なおこの間、延長3年(925年)には参議に任じられ公卿に列している。 その後、朱雀朝において、承平7年(937年)従三位、天慶2年(939年)権中納言、天慶4年(941年)中納言と累進し、村上朝の天暦2年(948年)正三位・大納言に至る。天暦4年(950年)7月3日薨去。享年67。