F406:藤原文信 | 藤原鎌足 ― 藤原房前 ― 藤原真楯 ― 藤原冬嗣 ― 藤原長良 ― 藤原文信 ― 藤原為忠 | F407:藤原為忠 |
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藤原為忠 | 藤原為業 |
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白河院の近臣。官位こそ高くなかったが、祖父・知綱は白河院の乳母子、父・知信は郁芳門院の乳母子、母は後三条天皇の落胤とされる藤原有佐の娘といった天皇家との深い関係や、安芸守,三河守,丹後守など地方官を歴任して蓄えた豊かな財力を背景に隠然たる勢力を持ち、院に対して殿舎を造進する一方、歌人に対してはパトロン的な役割をも担い、数奇的生活を送った。 |
永久元年(1113年)頃の生まれとされる。六位蔵人,伊豆守,伊賀守を歴任後、仁平元年(1141年)には近衛天皇の中宮(後に皇后)藤原呈子に仕えて中宮権大進,皇后宮大進に至った。 |
藤原頼業 | 藤原為経 |
元永年間(1118~19年)の生まれとされる。近衛天皇のもとで六位蔵人を務め、康治元年(1141年)に従五位下に叙され、翌年に壱岐守に任ぜられるが、遅くても久寿年間出家し大原に隠棲する。法名を寂然と称し、同じく出家した兄弟の寂念,寂超とともに大原三寂,常盤三寂と呼ばれた。西行とは親友の間柄であったといわれている。また、各地を旅行して讃岐国に流された崇徳院を訪問したこともある。寿永年間には健在であったとみられるが晩年は不詳。 |
初名は盛忠を名乗った。従五位上・長門守。 |