F301:藤原房前 | 藤原鎌足 ― 藤原房前 ― 藤原鳥養 | F302:藤原鳥養 | ● |
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藤原鳥養 | 藤原小黒麻呂 |
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天平元年(729年)正六位上から従五位下に叙せられる。これは弟・永手の叙爵より8年程早いことから、父・房前が20歳代前半であった、慶雲年間(704~708年)の生まれの可能性が高い。 |
天平宝字8年(764年)藤原仲麻呂の乱の論功によって従五位下・伊勢守に叙せられる。称徳朝では式部少輔,安芸守,中衛少将を歴任する。 |
藤原葛野麻呂 | 藤原常嗣 |
妹・上子が桓武天皇の後宮に入ったために重んじられ、延暦4年(785年)従五位下に叙されると、以降摂津次官,陸奥介と地方官を務めた後、少納言,右少弁と太政官の三等官を歴任する。平安京の造宮使にも任ぜられ、延暦12年(793年)には官人に新京の宅地を配分している。延暦13年(794年)には皇太子・安殿親王(のち平城天皇)の春宮大夫に任ぜられるともに、正五位下・左少弁に叙任され、翌延暦14年(795年)従四位下・左中弁、延暦15年(796年)従四位上・兼春宮大夫、延暦16年(797年)右大弁と、要職である弁官を務めながら急速な昇進を果たした。 |
淳和朝で順調に昇進する。天長7年(830年)正月に刑部少輔に左遷されるが、8月には蔵人頭に抜擢、天長8年(831年)には従四位下・参議に叙任され公卿に列す。また、議政官として勘解由長官,右大弁を兼ねた。なお、この間『令義解』の編纂にも携わっている。 |
藤原氏宗 | 藤原道雄 |
淳和朝末の天長9年(832年)上総大掾に任官。翌天長10年(833年)仁明天皇が即位すると、中務大丞,六位蔵人,式部大丞を経て、承和5年(838年)従五位下・式部少輔に叙任される。承和7年(840年)左近衛少将に遷ると右少弁も兼ねた。承和9年(842年)4月には来日した渤海使に対して食事の提供を行い、同年10月に従五位上・陸奥守に叙任され受領として任国に赴任した。承和13年(846年)式部少輔に再任されて京官に復すと、衛門権佐を経て、承和15年(848年)には正五位下・春宮亮に叙任されて皇太子・道康親王にも仕える。その後も嘉祥2年(849年)右中弁として弁官に復し、翌嘉祥3年(850年)従四位下に叙せられるなど順調に官途を進めた。 |
内舎人,大学允を経て、延暦15年(796年)従五位下に叙せられる。のち桓武朝では、兵部少輔,大学頭,散位頭,宮内大輔,刑部卿.内匠頭を歴任するとともに、武蔵介,阿波守,河内守,上総守,但馬守と地方官を歴任し、この間延暦19年(800年)には従五位上に昇叙されている。 |