<藤原氏>南家

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藤原貞嗣

 延暦13年(794年)従五位下に叙爵。民部少輔,備前守,典薬頭を経て、延暦23年(804年)左少弁、延暦25年(806年)従五位上・左中弁に叙任される。
 平城朝では弁官を辞任するなど昇進が停滞するが、嵯峨朝に入り大同5年(810年)正月に正五位下に叙せられると、同年9月の薬子の変に際して近江守に任ぜられ、平城京にいた平城上皇と東国を分断する役割を担う。乱後の11月には従四位下と続けて昇叙された。その後も順調に昇進し、弘仁10年(819年)参議に任ぜられ公卿に列した。
 弘仁11年(820年)正四位下、弘仁12年(821年)には従三位・中納言に至り、また議政官として皇后宮大夫,治部卿,右大弁,宮内卿を兼帯した。『日本後紀』の編纂にも参画したものの、完成を見ることなく弘仁15年(824年)1月4日薨去。享年66。