F012:土屋昌恒 | 藤原鎌足 ー 藤原武智麻呂 ー 藤原為憲 ー 入江維清 ― 岡部泰綱 ー 土屋昌恒 ー 土屋数直 | F013:土屋数直 | ● |
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土屋数直 | 土屋政直 |
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家督は兄の利直が継承、数直は元和2年(1616年)に2代将軍・徳川秀忠に拝謁し、元和5年(1619年)から秀忠の命令で徳川家光に仕えた。元和8年(1622年)に家光の近習に任じられる。 |
父の死後に家督を相続する。その後、駿河田中藩を経て土浦藩に復帰する。漸次加増をうけ、最終的に9万5000石となる。奏者番,大坂城代,京都所司代を経て老中に就任、元禄11年(1698年)に老中首座となり4人の将軍に仕えたが、側用人政治を展開していた新井白石と間部詮房には内心反対し、7代将軍徳川家継の後継者争いの際、側用人の廃止を条件として徳川吉宗の擁立に尽力する。吉宗は将軍になると老中らに口頭試問をしたが、なんとか恥を掻かずに済んだのは3問中2問を答えることができた政直のみだったという。
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土屋寛直 | 土屋寅直 |
享和3年(1803年)に父が死去したため、家督を継いで第8代藩主となる。しかし病弱で、文化7年(1810年)10月15日に死去した。享年16。 |
天保9年(1838年)12月7日、父が眼病を理由に隠居したため、家督を継いだ。 |
土屋挙直 | |
嘉永5年(1852年)9月19日、水戸藩主・徳川斉昭の17男として江戸小石川の水戸屋敷で生まれる。斉昭の従兄弟である土浦藩の第10代藩主・土屋寅直の養子となり、慶応4年(1868年)5月6日の寅直の隠居により、家督を継いで第11代藩主となる。5月15日に従五位下・相模守に叙位・任官する。 |