G009:渡辺 安 | 源 融 ― 渡辺 綱 ― 渡辺 安 ― 赤田 等 | G010:赤田 等 | ● |
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赤田 信 | 東政所 護 |
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信は上野国那和原の戦いで父の応を失い、幼少にして流浪の身となった。越後国赤田保の一族を頼り、越後赤田氏に養育された。成人した信は、貞治元年(1362)、越前に到って斯波義将に仕え、貞治6年、義将の推挙を受けて将軍足利義満の番衆となって京に移住した。 |
渡辺氏は大友氏の家中にあって、さほど大きな存在ではなかったが、大友氏とは、きわめて密接な関係にあった。のちに大友氏が改易処分となり、大友義統が水戸に配流されたとき、その下向衆のなかに渡辺三右衛門護がいる。この三右衛門護は東政所渡辺氏と思われ、その他の渡辺諸家は武士を捨てて帰農したと伝えられている。 |
赤田 隆 | 赤田虎之介 |
隼人正隆は、永正年間(1504~20)に一族,家臣を引き連れて八町村に移り住み、八町城を築き、小さいながらも犬上郡の一角に勢力を張った。 |
慶長5年(1600)、関ヶ原の合戦が起こると堅の子・虎之介は、赤田氏再興を図って西軍に属して力戦したが、合戦は西軍の敗北に終わり渡辺氏の再興は頓挫した。その後、野に下った虎之介は、家の再興を願って藤淵に身を投じ、龍神になったと伝えられている。 |