文徳源氏

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坂戸康綱

 平安時代末期の武士。東宮(体仁親王、のちの近衛天皇)帯刀となり、近衛天皇即位とともに兵衛尉に任ぜられた。また崇徳上皇の北面にも伺候した。久安6年(1150年)2月右衛門尉になり、長寛2年(1164年)3月父祖の例に倣い検非違使に任命され、承安元年(1171年)防鴨河判官になり、次いで承安4年(1174年)12月修理左宮城判官に任じて従五位下に叙された。治承3年(1179年)11月の平清盛のクーデター(治承三年の政変)において、大宰権帥に左遷された前関白藤原基房を京都から追い立てる任務を果たした功績により翌年の治承4年(1180年)正月に河内守に任ぜられた。同年12月肥前守に転任した。
 当時彼は後白河院の北面に伺候していたが、平家の西走・木曾義仲の上洛によってもその地位を失うことはなかった。しかし、法住寺合戦後、義仲と基房が手を結ぶと、かつて基房を追い立てたことに対する報復措置として解官された。建久10年(1199年)4月1日、68歳で卒去。