MT01:松平親氏 | 松平親氏 ― 松平親盛 | MT32:松平親盛 | ● |
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松平親盛 | 松平親俊 |
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官位は左京亮(右京進)。通称は三郎次郎(または三郎四郎)。三河国碧海郡福釜の領主。 |
松平広忠,徳川家康に仕え、各地の戦いに従事して軍功を立てたという。天正3年(1575年)、長篠城主・奥平貞昌が徳川家に降伏すると、徳川家から派遣されて長篠城に入り、籠城戦を戦うことになる。 |
松平康親 | 松平久恒 |
天正9年(1581年)に父の親俊が死去し、康親はまだ幼年であったが、型通りの家督相続が認められ、徳川家康に仕えた。 |
酒井忠次の4男で遠江浜松で生まれた。1593年に三河福釜の松平左馬助の養子となったが、左馬助に息子が生まれたため、1600年に妻の左馬助の娘を連れて実家に帰る。この際に左馬助の希望で松平姓に変えた。 |