K317:仁明天皇 | 仁明天皇 ― 源 多/冷/光 | G021:源 多/冷/光 |
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源 多 | 源 進 |
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一般に、仁明天皇第一源氏とされ、彼の兄弟たちで源氏姓を賜り臣籍降下した者たちを仁明源氏と称す。 |
貞観11年(869年)従五位下に叙爵、元慶2年(878年)図書頭に任ぜられる。のち、備中権介を経て、元慶9年(885年)三河守に任ぜられるなど、陽成朝から光孝朝にかけて地方官を務め、この間の元慶8年(884年)従五位上に昇叙されている。また時期は不明ながら、但馬守,丹波守,出雲守,信濃守なども歴任した。宇多朝以降に従四位下に至る。 |
源 冷 | 源 光 |
承和15年(848年)本康親王とともに清涼殿で元服。嘉祥2年(849年)従四位上に直叙され、翌嘉祥3年(850年)讃岐守に任ぜられる。 |
官位は正二位・右大臣。贈正一位。西三条を号す。第一親等の皇族ながら、多くの兄弟とともに源姓を賜って臣籍降下。侍従,美作守,参議,中納言,大納言などを歴任する。醍醐朝において藤原時平と結託し菅原道真を失脚させた張本人の一人とされ、延喜元年(901年)に道真の後任の右大臣に任官。邸宅の場所から西三條右大臣と称された。 |
漆間時国 | 源空(法然) |
美作国の押領使で左衛門尉。漆間氏は美作国の豪族で稲飯命の後裔とされる。時国の父を国弘あるいは親国とする系図がある。 |
浄土真宗では、法然を七高僧の第七祖とされ、法然上人,源空上人と称し、「元祖」とする。浄土真宗を開いたとされる親鸞は、「宗祖」もしくは「開祖」と呼ばれる。弟子である親鸞は、『正信念仏偈』,『高僧和讃』などにおいて、法然を本師源空や源空聖人と称し、師事できたことを生涯の喜びとした。 |