松平太郎左衛門家

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松平信広 松平尚栄
 父・松平泰親が岩津城に松平信光と共に移った際、信広に郷九箇村を譲り、これより代々領地とした。後に脚気となり隠居。文明13年10月8日死去、享年80。法名源心。墓所は晴暗寺。

 弟・松平信晴とともに、関ヶ原の戦いで家康に従軍し功績を立て、慶長18年(1613年)、徳川家康から恩賞を受け、松平郷に旧領220石が与えられた。  
 大坂の役では本多正純の隊に属して参戦し、真田氏の家康本陣への侵攻を防いだ。その後、更に230石を加増され、松平氏館を増築した。 元和5年(1619年)、家康を祀り、松平東照宮を創建した。

松平信博

 旧制東京音楽学校(現東京藝術大学音楽学部)器楽科を卒業する。1913年(大正2年)、北原白秋の詩『城ヶ島の雨』に梁田貞が作曲した楽曲を有楽座で披露する際、梁田の独唱に松平がピアノを伴奏した。
 西條八十が作詞した流行歌『侍ニッポン』(徳山璉、1931年)の作曲で知られ、「殿様作曲家」と呼ばれた。代表曲は同曲のほか、『天国に結ぶ恋』『旅は青空』等。作曲時に林 純平とも名乗った。