<神皇系氏族>天神系

A211:神皇産霊尊  神皇産霊尊 ― 山部小楯 YB01:山部小楯

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山部小楯 山部赤人
 伊予来目部小楯ともいう。清寧天皇2年(481年)11月、小楯は播磨国司として大嘗祭の供奉料の新穀を徴収するため派遣された。志自牟(古事記による)の忍海部造細目の新室の酒宴の席で、牛飼となって隠れていた市辺押磐皇子の遺子、億計,弘計両王を発見し、民衆を動員して仮宮を建てさせた上で朝廷に報告した。清寧天皇は驚き、さらに非常に喜んだという。485年、小楯はその功で山官に任じられ、山部氏と連の姓を与えられた。そして「吉備臣」を副として「山守辺」を部民とした、とある。

 その経歴は定かではないが、『続日本紀』などの正史に名前が見えないことから下級官人であったと推測されている。神亀・天平の両時代にのみ和歌作品が残され、行幸などに随行した際の天皇讃歌が多いことから、聖武天皇時代の宮廷歌人だったと思われる。作られた和歌から諸国を旅したとも推測される。
 柿本人麻呂とともに歌聖と呼ばれ称えられている。紀貫之も『古今和歌集』の仮名序において、「人麿は、赤人が上に立たむことかたく、赤人は人麿が下に立たむことかたくなむありける」と高く評価している。