A203:天太玉命 | 天太玉命 ― 忌部豊止美 | IB01:忌部豊止美 |
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忌部子首 | 忌部鳥麻呂 | 斎部浜成 |
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672年の壬申の乱の際、大海人皇子に味方して倭(大和国)で挙兵した大伴吹負は、倭京を奪い北に軍を進める途中、荒田尾赤麻呂の進言により本営の古京(倭京)の守りを固めることとし、赤麻呂と忌部首子人を遣わして古京を守らせた。赤麻呂らは道路の橋板を取り壊して楯に作りかえ、四つ辻に立てておいたことで果安の軍の進入を止めた。『日本書紀』には他に子人の活躍は見えない。 |
天平7年(735年)兄の忌部虫名とともに祭祀権を巡って中臣氏と争い、伊勢幣帛使となることに成功した。天平21年(749年)民部卿・紀麻呂らとともに伊勢大神宮に幣帛を奉納し、従五位下に叙せられる。 |
平安京右京の人。延暦22年(803年)3月に忌部宿禰姓から斎部宿禰姓に改姓したが、凶事を連想させる「忌」の字を忌避したためか。また同月には第23次遣唐使の派遣に先立って、唐の情報を得るために遣新羅使に任命され、7月に新羅に渡っている。 |
斎部広成 | 斎部文山 | 忌部色夫知 |
延暦22年(803年)父の浜成らとともに、忌部から斎部に改姓した。 |
右京出身。身分の低い出自であったが、工芸の技術に優れていることで名が知られていた。造東大寺所に属した。斉衡2年(855年)地震により東大寺大仏の仏頭が地面に落下した際、修理できる工人はいなかったが、文山は轆轤と長い梯子を利用して仏頭を引き上げて大仏の首に繋いで、まるで新しく作り直したかのように修理したという。文山によって考案された轆轤と梯子を利用した仏頭を引き上げるための機械は『日本三代実録』に「雲梯之機」と記され、日本最古のクレーンともされる。 |
『日本書紀』の壬申の乱のくだりに兄の忌部子人の活動が記されるものの、忌部色夫知の名は見えないが、死亡記事から色夫知も何かの活躍をしたことが知れる。 |