清和源氏

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源 頼平 桧坂忠尋

 平安時代中期の武将・官人。一説に兄頼光の養子となったとも。従五位上、加賀介、武蔵守。頼光と同様、主に京における中級官人として活動する。長元4年(1031年)には正倉率分所別当の候補に名が上がるも、これを辞退したとの記録が残っている。その後出家したとされ、兵庫県宝塚市の普明寺は頼平の開山と伝わる。
 藤原惟風の娘を娶って長男・従五位下伊豆守柏原頼盛、次男・従五位上土佐守檜坂忠季を儲けたほか、源頼風、祇園別当阿闍梨永壽、園城寺博士頼増、四天王寺別当頼昭らの子があった。
 子孫は柏原氏、檜坂氏、匂当氏などを称すが、三人の兄の家系ほどの活躍は見られない。

 比叡山の長豪・覚尋・良祐に天台教学を学ぶ。初め洛北の曼殊院に住したが、その後比叡山北谷東陽院に移った。1115年(永久3年)里坊として東山大谷に十楽院を開創し、1118年(元永元年)に権律師、1130年(大治5年)に天台座主、1137年(保延3年)に大僧正に任じられた。恵心流の天台教学の振興に努め、忠尋の門流は東陽院流と称された。

 

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