<神皇系氏族>天神系

SZ01:鈴木基行  穂積真津 ― 鈴木基行 ― 鈴木重吉 SZ06:鈴木重吉

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鈴木重秀 鈴木重朝 鈴木重次
 石山合戦において雑賀衆を率いて石山本願寺へ入り、織田信長の軍勢を苦しめた。

 豊臣秀吉に仕え、関ヶ原の戦い(伏見城の戦い)では西軍本隊に属して、鳥居元忠を討ち取る活躍を見せる。戦後、浪人を経て水戸藩に仕官した。
 その他、想像・創作の域こそ出ないものの、重秀の父とされる鈴木佐大夫を始め、当時存在したとされる鈴木氏の武将たちは「鈴木孫一」を名乗ったのではないかと言われる。

 「雑賀孫市」という呼称を公的に用いた。最初は父と同じく「鈴木孫三郎」と名乗っていたが後に改名、この名が代々子孫に受け継がれることとなった。
鈴木重義

 寛文4年(1664年)養父の重次が死去したため、家督を相続。禄高は3千石、大番頭に准じられた。寛文7年(1667年)大番頭となり、与力を付けられる。  寛文8年(1667年)3月、徳川光圀の江戸参府に従って上京し、4代将軍・家綱に拝謁する。9月、35歳で死去した。墓は浄光寺。
 雑賀鈴木家は重義の代までは禄高3千石の家老格であったが、重義の跡を継いだ養子・重春(重信の子である重井の子)が幼少であったことや、家人の不行跡により、禄高は600石となった。以後も重臣層として、明治維新に至る。

 

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