<皇孫系氏族>孝元天皇後裔

 森寺秀勝 ZZ05:森寺秀勝

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森寺秀勝 池田長貞

 伊勢国赤堀城主だった森寺藤左衛門秀勝は、戦国時代には織田信秀の重臣となり、長貞の祖父である池田恒興の育成にあたった。その後は子の忠勝とともに池田恒興に重臣として仕え、7000石を領した。忠勝は、小牧・長久手の戦いの際には犬山城代を務めた。
 森寺氏は江戸時代には「池田」を称して岡山藩家老家となり、維新後には士族を経て華族の男爵家に列せられた。

 天正16年(1588年)、池田長吉の次男として誕生。森寺忠勝は慶長4年(1599年)に没したが、跡を継ぐ男子がいないため、池田輝政の命で長貞が婿養子となって忠勝の家督を相続した。知行高7000石。
 慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いには、輝政の命で幼少の長貞に代わって、家老の石黒武左衛門が陣代となって森寺家の家臣を率いて出陣している。
 慶長11年(1606年)8月2日、死去。享年19。長貞の正室は旗本・能勢頼隆に再嫁した。実弟・長政が養子入りして家督を継ぎ、後に池田に改姓した。代々岡山藩の家老を務め備前国建部1万4000石を領したため、建部池田家とも森寺池田家とも呼ばれた。