SW13:唐橋在良 | 土師身臣 ― 菅原古人 ― 菅原道真 ― 唐橋在良 ― 若江在公 | SW15:若江在公 | ● |
リンク | {F332} |
若江公義 | 若江景長 |
---|---|
神宮祭主・藤波季忠の子として、明和2年(1766年)に生まれる。父・季忠は、大中臣氏二門の血統であり養父・和忠の実子である寛忠を既に養子に取っていたため、安永10年(1781年)の17歳での叙爵の後、寛政11年1月18日(1799年2月22日)、若江長公の養子となった。 |
元は医道を家業とする丹波宿禰氏嫡流の錦小路家の生まれで、量長は修理大夫頼理の3男として、文化9年(1813年)に誕生した。文政7年(1824年)、叙爵される。文政8年3月28日(1825年5月15日)、14歳で元服し院昇殿を許され、越後権介に任じられる。 |
若江薫子 | 若江範忠 |
幕末から明治初期の女流漢学者。尊皇運動家としても著名で、後に一条美子(後の昭憲皇太后)の学問師範を務める。号は秋蘭。 |
平松家出身であったが、平松時門の次男(御厄介)であったため、西園寺家には家来同然のように扱われるなど、正式に平松家の人間として扱われることは少なかった。 |