SM02:島津忠宗 | 島津忠久 ― 島津忠宗 ― 島津忠氏 | SM14:島津忠氏 | ● |
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島津忠卿 | 島津忠厚 |
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寛保2年(1742年)、薩摩藩4代藩主・島津吉貴の7男として生まれる。当時、吉貴は既に藩主を退き隠居の立場であった。延享元年(1744年)、兄の5代藩主島津継豊の命で、一門和泉家の名跡を相続して、今和泉家を創設する。十文字紋と桐紋使用を許され、揖宿郡の内小牧村,岩本村,西方村,頴娃郷の内池田村,仙田村,利永等を知行地として与えられた。 |
天明2年(1782年)5月19日、出生し、次兄の奥平昌高が中津藩主を相続した翌年かつ長兄の島津斉宣が薩摩藩主となった天明7年(1787年)6月、前藩主・島津重豪の実子(3男)として幕府に届けられる。『近秘野艸』では加治木島津久徴の子とされている。また、『鹿児島県史料集』の『家譜』では旗本で佐土原藩分家の島之内島津家当主の島津久般(式部少輔)の密子(都合上、認知出来ないために存在が秘密になっている子)が生母とされている。 |
島津忠欽 | |
今和泉島津家第13代当主、のち玉里島津家分家を興す。今和泉家第11代当主・忠冬の娘・巖(又従姉妹にあたる)の婿養子となり、明治27年(1894年)に先代当主の忠敬が没すると跡を嗣いで当主となる。2年後の明治29年(1896年)9月に当主を次男の隼彦に譲り、妻の巖や長男の雄五郎ら他の子たちを連れて今和泉家を離籍し、玉里島津家の籍に入る。同年12月に父・久光の勲功により男爵となり、分家した。その後、照国神社宮司,第百十七国立銀行頭取,貯蓄銀行取締役などを歴任する。 |