三河国に住んだとされる。伝承では治暦元年(1065年)に義家の命で、現在の福島県二本松市に住吉山城(四本松城)を築いたという。 永保3年(1083年)に始まる後三年の役では、舅の兵藤正経と共に、清原清衡の襲撃を受けた清原真衡邸から、真衡の妻と成衝を救い出している。義家からその武勇を賞賛され、源氏八領の一つともいわれる薄金の鎧を拝領したが、金沢柵攻略戦では、城内からの落石で兜を打ち落とされ紛失した。豊田市猿投神社に伝来する樫鳥縅鎧(重文)は、この薄金の鎧を助兼が奉納したものであると伝えられている。 承徳3年(1099年)従五位下に叙爵。
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