| OM01:大友能直 | 中原有象 ― 中原致時 ― 中原貞親 ― 大友能直 ― 田北親泰 | OM05:田北親泰 | ● |

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| 田北親泰 | 田北鑑生 |
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田北氏は大友氏の一族で、大友能直の孫・親泰を祖とし、豊後国直入郡田北村が本領である。親泰は、父・親秀から豊後国直入郡田北村地頭職・速水郡日差荘地頭職を譲与され、田北を称するようになった。さらに親泰は、肥後国味木荘・福富荘地頭職、税所公文職・国侍所司職も譲与されている。 |
大永7年(1527年)、父に従って栂牟礼城主・佐伯惟治の討伐に参加し、軍功を挙げた。これが初陣とされる。 |
| 田北鑑重 | 田北鎮周 |
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大友義鑑に仕え、兄ら同様に義鑑から偏諱を賜り、初めは鑑富、のちに鑑重を名乗る。出家してからは紹鉄と号した。 |
早くから本家筋の大友義鎮(宗麟)に仕え、その偏諱を賜って鎮周と名乗る。武勇に優れ、1560年代には毛利氏との戦いで、永禄11年(1568年)には立花鑑載の反乱鎮圧や、小早川隆景率いる毛利軍との戦いで武功を挙げている。 |
| 田北統員 | |
| 田北鎮周の跡は吉弘氏から婿養子に入った田北鎮生(のち統員に改名)が継承した。実子の鎮述は早世していたものと思われる。鎮周の戦死後の天正8年(1580年)、田北氏の惣領であった紹鉄が反乱を起こし討伐されると、統員が田北氏の家督を継承し、のち豊薩合戦の際に佐伯惟定と共に島津軍と抗戦した。統員の子・統生の家系は日差村の大庄屋として続いたともいわれている。 |