壬生正路の娘として生まれる。初名は満子。その後、大外記の押小路師武の養女となる。壬生家と押小路家は、共に「地下官人の棟梁」とされ、下級実務官僚の首座とされた家格である。 天保6年(1835年)7月、仁孝天皇第四皇子の煕宮(のちの孝明天皇)の儲君御乳人(乳母)となる。東宮御乳人を経て、弘化3年(1846年)2月、孝明天皇が受禅し、大御乳人(中級女官である命婦の次席)となる。慶応3年(1867年)1月、明治天皇践祚に伴って大御乳人を辞すが、明治4年(1871年)6月まで前大御乳人として勤仕した。隠居女官名は椹木。 明治17年(1884年)9月12日、数え77歳(満75歳)で死去。 その日記『大御乳人甫子記』全25冊は、安政6年(1859年)から明治4年(1871年)までの職務記録を記した貴重史料。『大御乳人甫子雑記』全3冊と合わせ、大部分は『日本史籍協会叢書』に『押小路甫子日記』として所収されている。
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