<神皇系氏族>天神系

NK05:中原師平  磯城黒速 ― 十市磐古 ― 中原有象 ― 中原致時 ― 中原師平 ― 中原師尚 NK06:中原師尚

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中原師守

 『外記補任』によれば、大炊頭を経て、建武政権では建武2年(1335年)権少外記となる。南北朝の内乱では北朝に属し、延元2年/建武4年(1337年)に雅楽頭を兼任、延元3年/暦応元年(1338年)に少外記に転じ、雅楽頭を辞し主計権助を兼任。これ以降『外記補任』には記載されない。のち、記録所寄人。また、後世の系図である『系図纂要』所収『中原系図』では、院上北面,明経道の直講,助教,明経博士に登り正五位上となったと伝承されている。
 官人としては、局務である兄の師茂の補佐に努めた。
 没年も不明だが、『外記補任』建徳元年/応安3年(1370年)の嫡子の師豊について「故主税頭師守男」と注されているため、この時までには没していたと考えられる。
 その日記『師守記』は、北朝の朝儀・公事のみならず、南北朝時代の朝廷・武家の政治や軍事、また社会一般の出来事を広く記録しており、同時代における第一級史料の一つである。
 師守の後裔は押小路家を称し、子孫数代は大外記に任じられたが、室町時代末期に絶えた。なお、中原氏宗家も後に押小路家を名乗るが、それとは同名別家である。