| MW05:大神惟基 | 大三輪大友主 ― 大神惟基 ― 高千穂政次 | MW06:高千穂政次 | ● |


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| 高千穂政次 | 高千穂政綱 |
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『高千穂古今治乱記』には、三田井氏の地神鸕鶿草葺不合尊からのの尊き血脈が絶えぬることを惜しみ、豊後国の大神大太惟基の一男を貰いうけ、嫡男となしたと記されている。しかし、『高千穂古今治乱記』は江戸時代後期に書かれたもので、その内容を鵜のみにすることはできない。 |
平家が滅び、源頼朝が権力を掌握すると、全国に守護・地頭が置かれることとなる。このとき、日向の守護職は佐々木高綱が任じられ、高千穂の地頭職は高千穂の伝統的豪族である高千穂氏が任じられた。 |
| 高知尾政重 | 三田井親武 |
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建長6年(1254年)の鎌倉下知状の写しが高千穂神社に残されているが、そこには、「高知尾三郎政重、政重の祖父・政綱、父・政信」とあり、高知尾(高千穂)を名乗っていた。高千穂氏が三田井氏を称するようになったのは鎌倉時代後期のことであったと推定される。 |
三田井氏は日向国高千穂の豪族で、高千穂氏の血筋が途絶えていたため親武は養子となっていた。 |
| 三田井鎮信 | |
| 戦死した親武のあとは鎮信が継いだが、すでに昔年の勢いはなく、しかも、鎮信は暗君で、弟・鎮氏が謀叛を企てているとの讒言を信じて水牢に閉じ込めたうえ殺害した。さらに、兄弟のなかで傑物とされて将来を嘱望された鎮武まで殺害してしまった。その後、鎮信は酒色に耽り、慶長3年(1598年)に病死した。ここに、三田井氏嫡流の血脈も断絶した。三田井氏滅亡の片棒をかついだ甲斐宗摂は、のちに高橋氏によって滅ぼされている。 |