<皇孫系氏族>継体天皇後裔

K301:継体天皇  三国友足/人足 MU01:三国友足/人足

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三国人足 三国広見
 慶雲2年(705年)12月、従五位下。霊亀1年(715年)4月、従五位上。養老4年(720年)1月、正五位下。万葉集 第8巻に1首掲載。

 天応元年(781年)4月、従六位上から従五位下に叙爵されるのが史料における初見。同年5月には主油正に任ぜられる。翌延暦元年(782年)6月、越後介。同3年(784年)3月、能登守と地方官を歴任する。同4年(785年)7月に笠雄宗と役職を交替する。ところが、同年10月、謀反を誣告したという罪で、斬刑に処せられるところを死一等を減刑して、佐渡国に配流されたという。これは同年9月の藤原種継暗殺事件と、広見配流と同月の安殿親王(のちの平城天皇)立太子の間に起こった出来事であり、種継暗殺に関係した処置と推定されている。
 なお、佐渡国分寺跡から出土した文字瓦に官人像の絵と「三国真人」の署名のあるものがある。