CHN6:呉王朝 | 呉王朝 ― 蜂田末武/身狭 青 | HC01:蜂田末武/身狭 青 | ● |
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蜂田虎身 | 蜂田古爾比売 |
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飛鳥時代の河内国大鳥郡の人。姓は首。奈良時代の僧・行基の祖父にあたる。 |
飛鳥時代の河内国大鳥郡蜂田郷の人で、高志才智を夫とし、天智天皇7年(668年)に僧・行基を生んだ。当時一般的だった妻問い婚・招婿婚により、才智が古爾比売の蜂田家に通い、そこで行基が生まれたと考えられる。 |
深根輔仁 | 身狭 青 |
平安中期、醍醐天皇に仕えた世襲侍医、医博士。本姓は蜂田薬師。医を業としたので薬師を名乗ったが、仁明天皇の承和1(834)年に深根宿禰の姓を賜った。輔仁は深根宗継を祖父とし、典薬頭・菅原行貞の門徒として右衛門医師より権医博士,大医博士に累進し、名医として知られた。延喜18(918)年頃、勅命でわが国最古の漢和薬名辞書『本草和名』を選している。本書は唐以前の30余書を引用、目次の配列は唐の『新修本草』に拠り、1025種の品目は本草薬物および玉石,禽獣虫魚,穀類など9類に分け、薬物の漢名の下に万葉仮名で和名の対訳を施し、出典を考証した古代の重要文献である。このほかにも『養生鈔』『掌中要方』などがある。 |
身狭氏は、『新撰姓氏録』左京諸藩下に「牟佐村主」とあり、呉の孫権の子孫で仁徳天皇の御世に渡来し、大和国檜隈に居住したという。 |