<桓武平氏>高望王系

H437:千葉常重  平 高望 ― 平 忠常 ― 千葉常重 ― 大須賀胤信 H456:大須賀胤信

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大須賀胤信 大須賀康高

 平安時代末期における下総国の有力在庁官人で桓武平氏良文流千葉氏の一族・大須賀氏初代惣領である。官途名は千葉介。下総権介・千葉常胤と正室(秩父重弘の娘)との間に生まれた4男である。
 平安時代末期、大須賀保は上総広常の領地であったが、源頼朝への謀叛の疑いで梶原景時により千葉介広常が誅殺され、頼朝より信頼の厚かった胤信に与えられた。当時、胤信は千葉県多部田周辺に領地を有していたが、大須賀保の地頭職になったことで大須賀胤信を称した。
 治承4年(1180年)、伊豆国で挙兵した源頼朝が石橋山の戦いに敗れた後に安房国へ逃れると頼朝は直ちに胤信の父・常胤に加勢を求める使者として安達盛長を送った。『吾妻鏡』によれば、胤信は父や兄弟らとこれを丁重に迎え入れたとされる。9月17日に胤信は父に随行し千葉一族300騎を率いて下総国府に赴き頼朝に参陣したとしている。
 胤信は源氏軍の与力として活躍。富士川の戦い後、上洛を焦る頼朝を父・常胤と共に宥めたと言われている。佐竹氏討伐を進言して相馬御厨の支配を奪還する。元暦元年(1184年)には、源範頼軍に属して一ノ谷の戦いに参加、その後は豊後国に渡り軍功を挙げた。文治3年(1187年)洛中警護のため上洛。文治5年(1190年)の奥州合戦では東海道方面の大将に任じられて攻め上り、その功績で頼朝から正治2年(1200年)、陸奥国好島庄(現在の福島県いわき市)を賜った。平等を重んじる胤信は承元元年(1208年)に「好島庄預所職」を東西に二分して、「好島東庄」を嫡子・通信へ、「好島西庄」は4男の胤村に与えた。
 建暦3年(1213年)5月に鎌倉幕府内で起こった有力御家人・和田義盛を首謀とする和田合戦が起こり、胤信は鎌倉幕府の第2代執権である北条義時の命により三浦氏,足利氏と共に反乱軍の鎮圧に兵を挙げる。その功績が評価され鎌倉幕府より甲斐国井上庄を賜った。 

 大永7年(1527年)、三河額田郡洞村に大須賀正綱の子として生まれる。はじめ娘婿の榊原康政と共に酒井忠尚に仕えていたが、忠尚が徳川家康に反旗を翻すと、これに従わずに康政とともに家康に仕えるようになる。その後は旗本先手役として活躍し、天正元年(1573年)に遠州馬伏塚を武田軍の侵攻から守りきった。天正6年(1578年)に甥の大須賀弥吉(小吉)が高天神城攻略で、抜け駆け行為をしたため、逆鱗に触れた家康から切腹を申しつけられる事変があった。天正9年(1581年)の高天神城の戦いで手柄を認められて天正10年(1582年)、遠江横須賀城主となった。
 本能寺の変後の武田遺領を巡る天正壬午の乱においては曽根昌世,岡部正綱と共に先鋒隊として派遣され、武田遺臣や有力寺社に対して所領の安堵を行っている。
 天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いにも先鋒として参加し、三好秀次(豊臣秀次)軍を追い詰めたが、堀秀政の反撃を受けて敗れた。天正13年(1585年)の真田昌幸攻めでは、井伊直政と共に苦戦する味方の救援に赴いた(上田合戦)。
 天正17年(1589年)6月23日に死去。享年63。嗣子がなかったため、榊原康政に娶わせた娘が生んだ忠政を養子に迎えて後継ぎとした。実は康高には信高という実子があったが、仏門に入り、慶長8年(1603年)に城下に善福寺を開山している。
 徳川氏の家臣においては新参にも拘らず、家中において重度の武功を挙げたことから、徳川二十将の1人として数えられる。大須賀氏が後に榊原氏に吸収されたために、あまり記録には残っていないが、実際は三傑や大久保忠世,鳥居元忠に匹敵する武功を挙げた人物である。

大須賀忠政

 天正9年(1581年)、徳川氏の重臣・榊原康政の長男として生まれる。同じく徳川氏の重臣だった外祖父・大須賀康高に嗣子がなかったことから、天正17年(1589年)の康高の死後、その養子となって大須賀氏を継いだ。この時、徳川家康から松平姓を与えられた。榊原家は2人の弟・忠長,康勝がそれぞれ父の後継者となった。
 天正18年(1590年)、家康が関東に移封されると、上総久留里に3万石を与えられた。慶長4年(1599年)、豊臣姓を下賜され、4月17日に従五位下・出羽守に叙任される。関ヶ原の戦い後の慶長6年(1601年)2月、上総久留里から遠江横須賀6万石に加増移封され、横須賀藩の初代藩主となった。慶長10年(1605年)には大規模な検地を行い、さらに城下町造りなどを積極的に行なって藩政の基礎を固めた。
 慶長12年(1607年)春に病に倒れ、養生のために上洛したが、その甲斐なく9月11日に死去した。享年27。跡を子の忠次が継いだが、忠次は後に父の旧姓である榊原家の家督を継承している。