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東郷実重 | 東郷重信 |
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渋谷一族は薩摩に所領を得たとはいえ、はじめは遥任であった。鎌倉にあるときの実重は渋谷荘の早川を領していたことから早川次郎と称していた。2代・忠重は承久の乱に出陣して活躍し、宝治2年(1248年)に実重・忠重の父子が、他の渋谷一族とともに薩摩に下向して東郷に入った。忠重の子・重高は弘安の役に出陣して活躍し、戦功賞として筑前国早良郡のうちに地頭職を与えられている。 |
戦国乱世の前夜ともいえる寛正3年(1462年)、渋谷東郷重信は一族である祁答院徳重,入来院重豊と同心の盟約を結んでいる。渋谷一族はたがいに結束を強め、動乱の時代を生き抜こうとした。
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東郷重理 | 東郷重信 |
東郷重理は宝徳2年(1450年),享徳元年(1452年),同3年(1454年)、犬追物の射手に選ばれ、ついで、文明5年(1475年)に島津忠昌が催した犬追物にも重理は射手として参加している。犬追物は流鏑馬などとともに中世の武芸であり、東郷氏の代々が武芸に長じていたことがうかがわれる。 |
重理の跡を継いだ重信は高城を掌中に収め、弟・重隆に高城を守備させた。重隆は高城妹背城に入ると高城氏を称し、東郷氏流高城氏の初代となった。 |