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東郷重虎(島津忠仍) | 東郷実友 |
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島津貴久の4男・家久の次男として誕生したが、天正5(1577年)2月3日に東郷重尚の養子となり東郷重虎と称した。 |
実友は終始、方正勤直をもって聞こえた。また識見が有り、海外事情を注視して外国船の無礼を憤っていた。実友の詠んだ和歌に、「異国の船 くつかへせ 諸人の祈る 誠を知れよ神風」というのがあった。 |
東郷平八郎 | 東郷 実 |
弘化4年12月22日(1848年1月27日)、薩摩国鹿児島城下で薩摩藩士・東郷実友と堀与三左衛門の3女・益子の4男として生まれる。14歳の時、元服して平八郎実良と名乗る。文久3年(1862年)、薩摩藩士として薩英戦争に従軍し初陣、慶応3年(1867年)6月に分家して一家を興す。戊辰戦争では春日丸に乗り組み、新潟・箱館に転戦して阿波沖海戦や箱館戦争、宮古湾海戦で戦う。 |
東郷平八郎・てつ夫妻の2男として生まれる。学習院中等科を経て、1912年(明治45年)7月、海軍兵学校(40期)を卒業。1913年(大正2年)12月、海軍少尉に任官し「香取」乗組となる。 |
東郷良子 | |
侯爵の娘として育つが、19歳の時(1935年(昭和10年)2月末頃)に家出をする。家出の理由は、学校(女子学習院)への提出物が間に合わなかったからとも伝えられるが不明。半月後、浅草のカフェで女給として働いていたところを発見され、1935年(昭和10年)3月16日の東京日日新聞で報道されると帰宅を余儀なくされた。他の新聞も追随して報道したが、多くは国民的英雄の孫の「単なる若気の至り」として片づけ終息に向かった。しかし、國民新聞のみは、家出を華族の風紀の乱れと結びつけ、社会的制裁とばかりにデマを並べて執拗に報道を続けたことから、東郷良子は良家の子女としての立場を失った。 |