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伊達政隆 | 伊達国隆 |
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岩谷堂伊達氏初代当主。初名は隆道。通称は長次郎。 |
元和元年(1615年)8月、父・政隆の死去によりわずか2歳で家督・知行1000石を相続し、陸奥国栗原郡清水邑主となる。成長に及び石母田宗頼の女を正妻に迎え女子を授かるが、寛永16年(1639年)8月28日、妻が病により22歳で亡くなる。寛永19年(1642年)、領内で行われた寛永総検地が「二割出目」で行われたため、正保元年(1644年)8月、出目高を加増され、知行1200石となる。同年9月、主君・伊達忠宗の世子・光宗に仙台城書院で御礼御目見する。 |
伊達宗規 | 伊達村隆 |
正保元年(1643年)、藩主・伊達忠宗の7男として生まれる。母は側室三田村氏で、同母兄に田村宗良がいる。幼名を藤松丸と名付けられた。 |
寛文3年(1663年)、岩谷堂伊達氏第3代当主・伊達宗規の子として生まれる。幼名は藤徳。寛文13年(1673年)に元服し、陸奥仙台藩主の伊達綱基(のちの綱村)より一文字拝領して数馬基貞と名乗る。 |
伊達村望 | 伊達義隆 |
元禄10年(1697年)、一門三沢氏初代当主・三沢宗直の次男として生まれる。幼名は万次郎。岩谷堂伊達氏第4代当主・伊達村隆の養子となる。宝永7年(1710年)5月、藩主・伊達吉村の加冠で元服し、一文字拝領して村望と名乗る。 |
文化9年(1812年)、亘理伊達氏第11代当主・伊達宗賀の子として生まれる。 |
岩崎邦規 | |
享和3年(1833年)、亘理伊達氏第12代当主・伊達宗恒の3男として生まれる。 |