| G745:朽木義綱 | 源 雅信 ― 源 扶義 ― 佐々木定綱 ― 佐々木信綱 ― 朽木義綱 ― 朽木稙綱 | G746:朽木稙綱 | ● |


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| 朽木稙綱 | 朽木稙昌 |
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元和4年(1618年)9月11日、3代将軍・徳川家光に仕え始める。元和9年(1623年)に民部少輔に叙任された。寛永8年(1631年)5月21日には小姓組番頭に任命され、翌々年の寛永10年(1633年)の7月24日には、書院番頭となった。寛永12年(1635年)11月20日、再び小姓組番頭となり、若年寄を兼任した。寛永13年(1636年)に加増を受けて1万石の大名となり近江朽木藩を創設した。 |
寛永20年(1643年)5月19日、土浦藩の初代藩主・朽木稙綱の長男として生まれる。万治3年(1660年)に父が死去したため、翌年に家督を継いで土浦藩の第2代藩主となる。このとき、弟の朽木則綱に3000石を分与している。 |
| 朽木稙治 | 朽木玄綱 |
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丹波福知山藩の第4代藩主。福知山藩朽木家5代。 |
丹波福知山藩の第5代藩主。宝永6年(1709年)9月11日、美濃岩村藩の第3代藩主・松平乗紀の5男として生まれる。享保12年(1727年)、福知山藩の第4代藩主・朽木稙治の養子となる。享保13年(1728年)11月23日、稙治が隠居したため、家督を継いで第5代藩主となった。 |
| 朽木綱貞 | 朽木昌綱 |
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正徳3年(1713年)9月16日、初代藩主・朽木稙昌6男の朽木迪綱の長男として生まれる。はじめ第4代藩主・朽木稙治の養子となっていたが、病弱を理由に廃嫡されて第5代藩主には縁戚に当たる朽木玄綱が迎えられた。ところが、これに不満を持った家臣団の一部が綱貞を擁立して家督争いにまで発展したため、玄綱は実子の舖綱を退けて綱貞を養子に迎え、明和7年(1770年)に玄綱が死去すると、綱貞が第6代藩主として後を継ぐこととなった。 |
寛延3年(1750年)1月27日、第6代藩主・朽木綱貞の長男として生まれる。天明7年(1787年)2月22日、第7代藩主の朽木舖綱が隠居したため、養子として家督を継いで第8代藩主となる。 |
| 朽木綱張 | 朽木為綱 |
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丹波福知山藩の第12代藩主。文化13年(1816年)8月6日、近江膳所藩主・本多康禎の次男として生まれる。嫡子だった朽木綱紀が早世したため、第10代藩主・朽木綱方の次女と結婚した上で婿養子として迎えられる。天保7年(1836年)に第11代藩主・朽木綱条の死去により、家督を継いで第12代藩主となる。弘化3年(1846年)6月18日に奏者番に任じられる。 |
丹波福知山藩の第13代(最後)の藩主。弘化2年(1845年)11月5日、第12代藩主・朽木綱張の長男として生まれる。父の養子だった朽木紘綱が早世したため嫡子となり、慶応2年(1867年)に父が死去したため、家督を継いで第13代藩主となる。慶応4年(1868年)1月の鳥羽・伏見の戦いでは旧江戸幕府軍に協力しようとしたが、幕府軍が敗退したため、新政府の西園寺公望率いる軍勢に降伏した。しかしそのため、上層部の切腹による謝罪や北越出兵、丹波・丹後などの代官地・天領などの接収を余儀なくされている。 |