FU02:足利成行 | 藤原魚名 ― 藤原秀郷 ― 藤原千常 ― 藤原兼光 ― 足利成行 ― 戸矢子有綱 | FU05:戸矢子有綱 |
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戸矢子有綱 | 阿曽沼広綱 |
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通称は足利七郎。足利有綱とも呼ばれる。覚仁の跡を継ぎ、東大寺領だった戸矢子保保司となり、蓬莱山に不摩城(秋葉城,部屋子城とも)を築く。 |
足利有綱の4男・阿曽沼四郎広綱を祖とする佐野氏族。下野国安蘇郡阿曽沼(現・佐野市浅沼町)を領して阿曽沼氏を名乗ったのに始まる。 |
阿曽沼広長 | 阿曽沼広秀 |
広郷の子・孫三郎広長の代になって、慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いのとき、南部利直に属して上杉景勝攻めの最上出陣中の留守の間に、一族の鱒沢城主・鱒沢広勝,横田城留守居役の上野広吉,平清水平右衛門の三人が首謀者となって主家に叛逆し、それに与しなかった上附馬火渡館主・火渡玄浄を討った。一方、広長は岩崎での戦いを終え遠野に引き返したが、鍋倉城を占領され領地の遠野を奪われて城に入ることができず、また、妻子は脱出の途中殺害された。 |
安芸阿曽沼氏は安芸国安芸郡世能を本拠地とする国人。阿曽沼氏は戦国期、大内氏に属していたが、大永3年(1523年)頃に大内氏を離反して尼子氏に味方するも、大永7年(1527年)に大内氏重臣の陶興房に攻められて降伏し、再び大内氏に属した。 |
阿曽沼元秀 | 阿曽沼元郷 |
安芸国安芸郡世能荒山荘を本拠地とした国人である阿曽沼広秀の嫡男として生まれる。毛利氏家臣。
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安芸国安芸郡世能荒山荘を本拠地とした国人であった阿曽沼元秀の嫡男として生まれる。毛利氏家臣で鳥籠山城主。 |
阿曽沼元理 | |
毛利元就の7男である天野元政の子で、阿曽沼元郷の娘婿となり阿曽沼氏を相続した。禄高は2500石。 |