F979:少弐資能 | 藤原房前 ― 藤原魚名 ― 藤原秀郷 ― 藤原千常 ― 近藤脩行 ― 武藤頼平 ― 少弐資能 ― 筑紫尚門 | F987:筑紫尚門 | ● |
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筑紫満門 | 筑紫惟門 |
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室町・戦国期の筑紫氏の系図は諸説あり(【F979】【G331】参照)、詳細不明な点が多い。 |
初め少弐氏に仕えていたが、主家が衰退したために、大内家の筑前侵攻に呼応して大内氏に仕えていた。大内氏滅亡後、大友氏の影響下に置かれるが、惟門はひそかに毛利氏と手を結び、毛利元就の九州進出に対し、秋月文種と呼応し挙兵した。しかし、これは失敗に終わり、文種は自刃し、惟門は嫡男の広門らと共に山口へ逃走する。後、毛利家の支援のもと、元の所領に帰り咲く。
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筑紫広門(上野介) | 筑紫広門(主水正) |
筑後国上妻郡の国人領主で、肥前国の勝尾城主。なお、妻は高橋紹運の妻と姉妹関係にある。 |
「武藤系図」では天正2年(1574年)に勝山出生としている。『寛政重修諸家譜』では筑紫惟門2男、正保3年(1646年)に死去、享年73としている。享年からの逆算で天正2年出生は「武藤系図」と一致しているが、同じく『寛政重修諸家譜』記載の父とされる惟門の没年である永禄10年(1567年)とは矛盾している。惟門の実子ではなく広門(上野介)の養子の可能性が高い。 |