F824:伊達為家 | 藤原魚名 ― 藤原鷲取 ― 藤原山蔭 ― 藤原中正 ― 藤原為盛 ― 伊達朝宗 ― 伊達為家 ― 飯坂政信 | F825:飯坂政信 | ● |
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飯坂政信 | 飯坂宗康 |
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飯坂氏は伊達氏初代・伊達朝宗の4男・為家を祖とし、為家の曾孫・政信が飯坂に居を構えて飯坂氏を称したのが始まりである。 |
伊達氏庶流・飯坂氏14代当主。陸奥国信夫郡飯坂城主。信夫郡飯坂城主・飯坂宗定の子として生まれる。伊達晴宗の代には、黒川氏から養子に入った飯坂氏定(黒川晴氏の叔父)が継いでいたが、氏定は養父との折り合いが悪く、出奔して越後の上杉謙信の下に去ってしまった。宗康の父・宗定が氏定と同一人物か、あるいは別人かは確定しないが、年代から見て氏定の出奔後に宗康が家督を相続していることは確かである。 |
飯坂宗清 | |
慶長5年(1600年)、伊達政宗の3男として誕生し、慶長9年(1604年)に飯坂宗康の養嗣子となる。慶長15年(1610年)に11歳で元服し、後に伊達姓を賜り伊達河内守宗清と称した。黒川郡吉岡3万8千石を領し下草城に入り、元和元年(1615年)に吉岡要害の築城にかかり、翌年に吉岡要害に移った。 |