<藤原氏>北家 魚名流

F803:藤原山蔭  藤原鎌足 ― 藤原房前 ― 藤原魚名 ― 藤原鷲取 ― 藤原山蔭 ― 藤原公利 F807:藤原公利

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藤原守義

 醍醐朝の延長2年(924年)文章生に補せられる。越前権大掾,六位蔵人,式部丞を経て、承平6年(936年)従五位下・和泉守に叙任される。
 朱雀・村上・冷泉・円融の四朝35年以上の長きに亘って、和泉守のほか、天慶4年(941年)伊予守,天暦2年(948年)越前守,天暦10年(956年)丹波守,応和4年(964年)伊予守,安和3年(970年)播磨守と六ヶ国の受領を歴任。この間に治国の功労として、天慶4年(941年)従五位上,天暦2年(948年)正五位下,天暦5年(951年)従四位下,応和3年(963年)従四位上と昇進を重ねる。
 天禄3年(972年)参議に任ぜられる。父・公利は地方官を歴任して従四位下に終わっていたことから、守義の公卿昇進の目は薄かったが、赫々たる地方官と認識されて治国の功労により昇叙を重ね、六国の国守を務め上げて、77歳にして遂に公卿に列した。
 天禄4年(973年)宮内卿に任ぜられるが、翌天延2年(974年)正月29日に出家し、2月4日に卒去。享年79。