F531:本多正忠 | 藤原房前 ― 藤原冬嗣 ― 藤原忠平 ― 藤原師輔 ― 藤原兼通 ― 本多助秀 ― 本多正忠 ― 本多忠相 | F534:本多忠相 | ● |
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本多忠相 | 本多忠将 |
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三河西端領の初代領主。西端藩本多彦八郎家初代。慶長4年(1599年)、下総国下篠郷で本多康俊の次男として生まれる。父の康俊は、徳川四天王の筆頭・酒井忠次の次男であるため、忠相は忠次の孫に当たる。 |
三河西端領の第2代領主。西端藩本多彦八郎家2代。寛永3年(1626年)、初代領主・本多忠相の長男として生まれる。寛永10年(1634年)、弟の忠良とともに将軍・徳川家光に拝謁する。このとき、忠良は旗本・中西元朝の養子となっていたが、家督相続前に死去した。代わって、中西孝元が元朝の養子となった。後に忠将の娘の1人が、忠良の養女となって孝元に嫁いだ。万治元年(1658年)閏12月27日に従五位下・対馬守に叙位・任官する。寛文12年(1672年)、父の隠居により家督を継いで第2代領主となる。 |
本多忠寛 | 本多忠鵬 |
天保3年(1832年)、9000石の大身旗本である本多忠興の次男として江戸で生まれる。兄の万之助が早世したために世子となり、嘉永5年(1852年)に家督を継いで旗本となった。 |
安政4年(1857年)、大身旗本・本多忠寛の長男として江戸で生まれる。慶応3年(1867年)5月20日、父が病気を理由に隠居したため、家督を継いで第2代藩主となる。慶応4年(1868年)の戊辰戦争では新政府に与して尾張藩に属した。また、西端陣屋を改築している。 |