F044:工藤家次 | 藤原鎌足 ― 藤原武智麻呂 ― 藤原乙麻呂 ― 藤原為憲 ― 工藤家次 ― 狩野茂光 | F055:狩野茂光 | ● |
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狩野茂光 | 狩野宗光 |
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伊豆を代表する牧草地だった牧之郷を領有し良馬を多数有したため伊豆半島最大の勢力を築くこととなった。伊豆大島を所領としており、保元の乱(1156年)で大島に流罪となった源為朝の監視役となる。やがて為朝が流人の身でありながら周辺諸豪族を切り従えて自立の動きを見せたため、嘉応2年(1170年)にこれを追討し自害に追い込んでいる。 |
源頼朝に仕えるようになり、治承寿永の乱では、源頼朝側として挙兵当初から従っている。 |
狩野親光 | 満功御前 |
工藤親光とも。通称は五郎。 |
狩野親光の3女。伊豆国司代の源左衛門仲成に嫁いで一男一女を産み、4年目に離別して河津祐泰に再嫁。一説に、任期を終え京に帰る夫に愛娘が付き従うのを親光が許さなかった、と。また、彼女は祐泰が工藤祐経によって討たれると、父の仇を討つよう幼い兄弟に言い含め、生まれたばかりの遺児を祐泰の弟・伊東祐清に預けた。当初は出家しようと考えていたものの義父・伊東祐親の説得に従って祐泰の従兄弟にあたる曾我祐信に一万と箱王を連れて後妻として嫁ぎ、さらに3人の男子を儲けた。 |