F047:伊東祐継 | 藤原乙麻呂 ― 藤原為憲 ― 工藤家次 ― 伊東祐継 ― 伊東祐時 | F048:伊東祐時 |
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伊東祐時 | 伊東祐安 |
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幼名は犬房丸。建久4年(1193年)5月28日、曾我兄弟の仇討ちで父・工藤祐経が討たれる。父を討った曾我時致は助命の動きもあったが、犬房丸が泣いて訴えたことにより、時致の身柄は祐経の一族に引き渡されて処刑された。その後、幕府御家人として仕える。 |
1378年、氏祐(祐重)の死去に伴い家督を相続。伊東本宗家は祖父の伊東祐持の時代に足利尊氏に日向の所領への下向を命じられていたが、祐安は都於郡城を拠点に国富庄,諸県庄,穆佐院など周辺の掌握に取り組み、日向国における地歩を固めた。 |
伊東祐武 | |
祐安に従って日向国守護の島津氏の度重なる攻勢に対抗した。応永20年(1413年)には曽井城の戦いで薩軍の樺山教宗,北郷知久を破る。 |