長岳寺

ちょうがくじ (Chogaku-ji Temple)

【T-NR015】探訪日:1995/3/28・2014/11/28・2017/8/27

【T-NR015】長岳寺 奈良県天理市柳本町508 <📲:0743-66-1051>

【MAP】

〔駐車場所〕

【T-NR015】長岳寺

   824(天長元)年、淳和天皇の勅願により空海が大和神社の神宮寺として創建したという。本尊は阿弥陀如来。盛時には48もの塔頭が建ち並んでいたが、鎌倉時代には興福寺大乗院の末寺となっている。
 応仁の乱や1502(文亀3)年の兵火によって衰退したが、1602(慶長7)年に徳川家康の支援によって復興された。境内の面積は約40000㎡と広く、八十八箇所石仏道が竜王山中腹の奥の院まで巡らされている。
 楼門(重文)は、かつては上層に梵鐘が吊られていたために鐘楼門と呼ばれ、日本最古の鐘門である。下層は室町時代~安土桃山時代、上層は平安時代末期頃の建築とされる。
 1783(天明3)年に再建された本堂(重文)には阿弥陀三尊像と多聞天,増長天立像を安置している。木造阿弥陀如来両脇侍像は胎内銘から平安時代末期の1151(仁平元)年の作と判明している。本三尊像の堂々とした量感や写実的な表現は、次の鎌倉時代の作風のさきがけをなすといわれる。両脇侍を片足を踏み下げた半跏像とする形式は奈良時代にその例が見られ、奈良時代の古典復興の意図があったとも見られる。本三尊像は、玉眼を用いた像で制作年代の判明する最古例としても知られる。また、木造多聞天,増長天立像は平安時代中期の作。元は大神神社の神宮寺である大御輪寺(現・大直禰子神社)の仏像だったが、明治時代の廃仏毀釈によって大御輪寺が廃絶したためここに移された。
 五智堂(重文)は鎌倉時代の建造物で方一間、全面吹き放しの小規模なものである。中央の心柱の上部に四仏の種子を表し、心柱を大日如来に見立て全体で五智如来を表す。
 このほか、旧地蔵院2棟,庫裏も国の重文に指定されている。

【史跡規模】

【指 定】
【国 宝】
【国重文】
  ・楼門:日本最古の鐘門  
  ・五智堂:鎌倉時代の建造物
  ・旧地蔵院 2棟
  ・本堂(延命殿):1783年再建
  ・庫裏:1631年建築
  ・木造阿弥陀如来両脇侍像:1151年の作
  ・木造多聞天,増長天立像 :平安時代中期の作

関連時代 平安時代:前期 安土桃山時代 江戸時代:中期
関連年号 824年 1602年 1783年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
空海 SE** 徳川家康 TG01

 

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▲大門(肘切門):2014/11月撮影

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▲鐘楼門

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▲1995/3月時点の説明板

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▲本堂

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▲本堂:1995/3月撮影

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▲本堂内の仏像:1995/3月撮影

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▲放生池を挟んで見た本堂:1995/3月撮影

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▲大師堂

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▲弥勒大石棺仏(1995/3月撮影)

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▲(1995/3月撮影)

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▲本堂(2014/11月撮影)

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▲大師堂(2014/11月撮影)