崇道天皇八島陵
すどうてんのう やしまりょう(Yashima Mausoleum of Emperor Sudo)
【K-NR074】探訪日:2018/10.3
奈良県奈良市八島町
【MAP】
〔駐車場所〕
早良親王の陵。光仁天皇の皇子であり、桓武天皇,能登内親王の同母弟にあたり崇道天皇と追諡されたが、皇位継承をしたことはないため歴代天皇には数えられていない。
785(延暦4)年、早良親王は藤原種継暗殺に連座した疑いを受け廃嫡、乙訓寺に幽閉された。無実を訴えるため10余日絶食し、淡路国に配流の途上に49歳で薨去された。最初の墓は淡路に造営されたが、皇太子・安殿親王の発病,桓武天皇妃たちの病死や疫病流行,洪水などが相次ぎ、霊が祟りをなしたと恐れられたため、800(延暦19)年に崇道天皇と追尊され、淡路の墓も山陵とし、淡路国津名郡の戸2烟に守らせたという。さらに805(延暦24)年、改葬司を任じて八島陵への改葬が執り行われた。
その後、この地を含む周辺には崇道天皇社と八島寺が建てられていたが、1865(慶応元)年、この敷地が崇道天皇陵であると判明した。