大山守命那羅山墓(境目谷古墳)
おおやまもりのみことならやまのはか(さかいめだにこふん)
(Mausoleum of Oyamamorinomikoto [Sakaimedani-Kofun Tumulus])
【K-NR075】探訪日:2018/10.3
奈良県奈良市法蓮町字境目谷1922
【MAP】
〔駐車場所〕
大山守命は応神天皇の皇子で、母は高城入姫命(品陀真若王の女)。仁徳天皇,菟道稚郎子の異母兄に当たる。
応神天皇40年1月、菟道稚郎子の立太子の際、兄にもかかわらず自らが皇太子になれなかったことを恨んでいた。応神天皇の崩御後、密かに皇位を奪おうと謀り、皇太子を殺害するために数百の兵を挙げた。しかし、この謀は前もって大鷦鷯尊(後の仁徳天皇)と皇太子の察知するところとなり、菟道川の渡河中に渡し守(船頭)に扮した皇太子の計略によって船を転覆させられ、救援を請うも空しく水死した。遺骸は考羅済(現在の京都府京田辺市河原)で見つかり、那羅山に葬られたという。
陵墓は円墳。周辺は一般の住宅地となっている。