日葉酢媛命陵(佐紀陵山古墳)
ひばすひめのみことのみささぎ(さきみささぎやまこふん)
(Mausoleum of Princess Hibasu [Sakimisasagiyama-Kofun Tumulus])
【K-NR069】探訪日:2018/10.3
奈良県奈良市山陵町
【MAP】
〔駐車場所〕
佐紀盾列古墳群を構成する古墳の1つで、全国32番目の大きさ(全長)の前方後円墳である。規模は、全長207m,前方部幅87m,前方部高12.3m,後円部径131m,後円部高20mで三段に築成された古墳である。
築造時期は4世紀末頃とされ、実際の被葬者は明らかではないが、宮内庁により「狭木之寺間陵」として第11代垂仁天皇皇后の日葉酢媛命の陵に治定されている。殉死の代わりに初めて埴輪を御陵に立てたという説話が日本書紀に記されているのがこの古墳ではないかとされている。すぐに西側に接して築かれている佐紀石塚山古墳のくびれ部に佐紀陵山古墳の後円部が食い込んだ配置になっている。このため佐紀石塚山古墳の周濠は極端に狭くなっており、佐紀陵山古墳の方が先に築かれたことが推定されている。
1915(大正4)年に盗掘事件が発生し遺物が持ち出されたが、犯人が検挙され出土遺物は回収された。その際の復旧工事にて石室付近と出土遺物に関するかなり詳細な調査と記録の作成がなされた(原本は関東大震災で焼失したが、記録のかなりの部分の写しは京都大学に残されていた)。
後円部頂上中央に存在する方形区画の真下につくられた竪穴式石室は、主軸をほぼ南北に持ち、長さ8.55m,幅1.09mという巨大なものである。内部には長大な木棺を蔵していたと推測される。この石室の天井石の上に屋根形をした石棺の蓋のように見える大型の石が置かれており、表面に直線の平行文様が線刻されており、魔除けの一種として施されたものではないかと考えられる。
石室上部は2mほどに土を盛って小さな円形の盛土を造り、その上に7~8個のキヌガサ形埴輪と数個の盾形埴輪を立てていた。特に土檀中央の最高所に立てられたキヌガサ形埴輪は大きく(高さ1.5m,横幅2m)、稀に見る丁寧さで作られていた。盾形埴輪(高さ1.08m,最大幅0.8m)も丁寧な作りで木製の盾を模したものと推測され、周縁全部と中央の二本の横帯を直弧文で飾っていた。
石室内からの出土遺物としては、直径32~34cmの流雲文縁変形方格規矩鏡仿製鏡,唐草文縁変形方格規矩鏡,直弧文縁変形内行花文鏡や石製腕飾り,管玉1,琴柱形石製品,石製臼1などが出土している。