飛鳥稲淵宮跡
あすかいなぶちのみやあと (Asuka-inabuchi Palace Ruins)
【P-NR003】探訪日:1992/10/31・2017/8/27
奈良県高市郡明日香村大字稲淵
【MAP】
〔駐車場所〕
飛鳥川の上流、稲淵川左岸の平坦な水田地に位置する。本宮殿跡の宮名については、『日本書紀』孝徳天皇の653(白雉4)年、中大兄皇子(後の天智天皇)が難波宮から飛鳥宮に帰り、一時期過ごした「飛鳥川辺行宮」にあてる説がある。
遺跡は南北約170m,東西約60mの広さで、主な遺構は、東西棟2軒,南北棟2軒の計4軒の掘立柱建物と建物の間に敷き詰められた石敷きである。東西棟は発掘地の中央に位置し、東西5間以上、南北4間以上という大規模な建物である。東に約4m離れて、南北に2軒が並ぶ南北棟を配している。これら建物は、相互に柱筋を揃えるなどの規格性に優れ、建物を等間隔で配置するなど、きわめて計画的に建てられている。建物の年代は、出土土器などから7世紀中頃に造営され、同世紀末に火災により焼失したことが分かる。