光明寺

こうみょうじ(Komyo-ji Temple)

【T-KN020】探訪日:2008/5/1

【T-KN020】光明寺 神奈川県鎌倉市材木座6丁目17-19 <📲:0467-22-0603>

【MAP】

〔駐車場所〕

【T-KN020】光明寺

   寺伝によれば、1240(仁治元)年、北条経時が浄土宗三祖然阿良忠を開山とし佐助ヶ谷に開創した蓮華寺を起源とし、1243(寛元元)年に現在地に移築し光明寺と改称したとされる。ただ、『然阿上人伝』では鎌倉入を1259(正元元)年としており、疑問視されている。
 13~14世紀にかけての歴史はあまり定かではないが、室町時代に中興開山とされる祐崇上人によって復興され、1495(明応4)年には後土御門天皇より勅願寺に定められている。さらに近世には、浄土宗の関東十八檀林の第一位の寺として栄えるに至った。
 山門は五間三戸二重門(正面柱間が5間で中央3間が通路になっている2階建ての門)で、浄土宗関東総本山にふさわしい大規模な門である。鶴岡八幡宮から移築したものとされ、1847(弘化4)年頃の建築である。本堂(国重文)は1698(元禄11)年の建立で、母屋造,銅板棒瓦葺きで間口奥行ともに約25mの鎌倉地方では最大級の本堂である。1923(大正12)年の関東大震災でもほとんど損傷しておらず、建立当初の形式をよく保っている。また、庭園は小堀遠州作と伝える蓮池を中心とした「記主庭園」(記主とは開山の然阿良忠)と、「三尊五祖来迎の庭」と称する枯山水庭園がある。
 国宝である紙本著色当麻曼荼羅縁起2巻は鎌倉時代制作の絵巻物で、上下2巻に分かれる。奈良の当麻寺に伝わる当麻曼荼羅と中将姫の説話を絵解きしたものである。
 このほか、日向国延岡藩領主である内藤家歴代の墓所があり、歴代藩主の多くやその正室など200基以上の石塔が建つ。江戸の霊巌寺から移されたものである。

【史跡規模】

【指 定】
【国 宝】紙本著色当麻曼荼羅縁起 2巻
【国重文】・本堂
     ・絹本著色当麻曼荼羅図 1幅
     ・紙本著色浄土五祖絵伝 1巻
     ・絹本著色十八羅漢および僧像19幅

関連時代 鎌倉時代 室町時代 戦国時代 江戸時代:前期 江戸時代:中期
関連年号 1240年・1243年 1351年 1495年 1698年 1847年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
北条経時 H172 然阿良忠 **** 祐崇上人 ****
後土御門天皇 K602

 

【T-KN020】光明寺
  

 

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▲総門

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▲総門

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▲山門

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▲山門

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▲山門(境内から見る)

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▲鐘楼

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▲善導大師像

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▲開山堂

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▲本堂

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▲本堂

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▲三尊五祖の石庭

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▲記主庭園

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▲【転載】大聖閣

【T-KN020】光明寺

▲【転載】大聖閣