木下長嘯子宅跡
きのしたちょうしょうしたくあと (Residence Ruins of Choshoshi Kinoshita)
【R-AC019】探訪日:2018/3/17
愛知県名古屋市中村区中村町木下屋敷
【MAP】
〔駐車場所〕
木下勝俊(1569~1649年)の屋敷跡という。中村公園の東側にある常泉寺の西門を出た所に石碑が設置されている。
木下勝俊は秀吉の甥で、正室北政所の兄が勝俊の父木下家定である。秀吉に仕え若狭国後瀬山城主となり、関ヶ原合戦では東軍に属して伏見城を守備していたが、西軍が来襲する直前に城を退去し、戦後所領を没収された。その後長嘯子と名乗って京に住んで和歌の道を歩んだ。
1608(慶長13)年、父の備中国足守藩主木下家定が没すると、その遺領を継いだが、家康の意向は勝俊と弟利房の二人が所領を継ぐことであり、勝俊のみが遺領を継いだのは意に反しているとして足守藩領は浅野長晟に与えられた。勝俊はその後大名に復帰することはなかったが、利房は大坂の陣の功によって足守藩に復活している。