宮石城跡
みやいしじょうあと (Miyaishi Castle Ruins)
【C-AC301】探訪日:2020/6/23
愛知県岡崎市宮石町小屋野
【MAP】
〔駐車場所〕
築城年は定かではないが、大給松平家初代の松平乗元3男である乗次によって標高60m,比高20mの尾根端に築かれた。彼は三河国額田郡宮石郷を領して宮石松平家の祖となる。乗次の曽孫の宗次は松平宗家松平広忠,家康に仕え、1560(永禄3)年の桶狭間の戦いで討死。その子・康次は高天神城の戦いや小牧長久手の戦いなどに参戦し戦功を挙げ、徳川家康の5男松平信吉の傅役となっている。信吉の死後は代々、家康直属の旗本となる。城は1590(天文18)年の家康の関東移封に伴い廃城となったと考えられる。
現在は土塁や曲輪,井戸跡などが残されており、1988(昭和63)年には大給松平家の系図が記された碑も建てられた。
【史跡規模】 |
【指 定】 |
関連時代 | 戦国時代 | 安土桃山時代 |
関連年号 | 1560年 | 1590年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
松平乗次 | MT27 | 松平宗次 | MT27 | 松平康次 | MT27 |
松平信吉 | TG01 |
ネット情報をもとに、県道から斜めに上る脇道から入ったが、案内板もなくわかりづらい。戻りは西側に付いた道から下りたが、若干距離は長くなるものの、西から登城する方が分かりやすいかもしれない(こちらも案内板はないが)。
※本サイトの写真は転用可です(ダウンロードすると、より鮮明に見えます)
▲県道338号線(大給の里道)からこの道を南に入る
▲ここから登城
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▲虎口
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▲城址碑
▲宮石松平の歴史碑と三重石塔
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▲宮石城井戸
▲宮石城井戸
▲磯谷家由緒碑
▲豊後府内藩を中心とした大給松平家系図
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▲堀切
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▲切岸
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▲この脇道からも登城できる