保久城主山下家墓所

ほっきゅうじょうしゅ やましたけ ぼしょ (Graves of the Yamashita Family, Hokkyu Castle Lords)

【K-AC117】探訪日:2020/5/14

【K-AC117】保久城主山下家墓所 愛知県岡崎市保久町寺ノ入

【MAP】

〔駐車場所〕

【K-AC117】保久城主山下家墓所

   万福寺の東北の裏山裾の道路沿いに鎌倉~室町時代の宝篋印塔が20基ほど並ぶ。山下氏は桓武天皇の子孫といわれ、義道(義通)のときに下野国から三河国に移り、足利将軍家奉公衆の三河四人衆の一家となる。子の義村が山下姓に改め保久に入り、山下家初代として近郷七村の領主となった。保久城を居城とした。嫡子は京都に上り、将軍の身辺警護にあたったといわれる。9代山下重久は、1461(寛正2)年に松平信光との戦いで戦死し、その子重勝,重仲は姓を簗瀬に改め保久に世を忍び、末子の山下惣兵衛は浅谷城主の簗瀬氏に仕えた。
 一連の宝篋印塔には関東型と関西型が見られる。

【史跡規模】

【指 定】岡崎市指定史跡(1970年12月1日指定)
【国 宝】
【国重文】

関連時代 鎌倉時代 室町時代
関連年号 1461年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
山下義道 H*** 山下義村 H*** 山下重久 H***
松平信光 MT01 簗瀬重勝 H*** 簗瀬重仲 H***
山下惣兵衛 H***

 

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